義父母は同郷です。
故郷を離れても、ふたりで話すときは故郷の言葉のままです。
故郷に住んでいた時間より、こちらに出てきてからの時間のほうが長くなっても、故郷の言葉が抜けません。
義父母が親類と電話で話していると、私には何を話しているのかわかりません。
どちらの祖父母もとうに亡くなっていますが、兄弟が故郷で暮らしているので、義父母は里帰りのように行っていたようです。夫も子供の頃は、夏休みに連れて行ってもらっていたそうです。
田舎に行く義父
義父は年に3〜5回ほど田舎に行きます。
はじめの頃、私は義父が何をしに田舎に行くのかわかりませんでした。
特に決まった時期はなく、親類の法事があるわけでもなく、2〜3日で帰ってきたり半月以上だったりとバラバラだったからです。
まるで出張
義父が田舎に行く時は、スーツを着てキャリーバッグを持って、新幹線や在来線を乗り継ぎ、丸1日かけて行きます。
朝一番の新幹線に乗れば、なんとか夕方に到着できるくらい遠いので、もちろん交通費も結構かかります。なので、節約のために宿は取らず叔父の家に泊まっているようでした。歓迎されているかどうかは別にして。
アパート
義父は故郷にアパートを建てました。
どうして自宅から遠いところに建てたのか本当のことは分かりませんが、義父の数十年来の口癖が「3年後には田舎に帰る」でしたから、アパートを建てて生活基盤を田舎に置きたかったのかもしれません。
または、実家を飛び出した手前、帰るところがなくなった義父が、アパートという錦を飾ることで親戚たちに大きな顔をして帰郷できると考えたのかもしれません。
またはごく単純に、土地が安いからという理由だったのかもしれません。
アパートの管理が仕事
アパート経営は家の仕事だから。
お前たちはこっちで仕事があるから行けないだろう?
いろいろあるんだよ。
あっちでやらなきゃいけない仕事がさ。
オレが代わりに全部うまくやってるから。
わかるようなわからないような理由で、義父は仕事だと思って田舎に行っていたようです。
何しに行くんですか?なんて訊けなかったです。
当時から、お金のことやアパートのことを聞くと烈火の如く怒り出したり、話をすり替えてまったく答えてくれなかったりでしたから。
支払いのためだけに
時には商工会議所に会費を支払うためだけに行ったこともありました。
1万円ちょっとの会費を持って、直接商工会議所に払いに行ったそうです。
10万円近くの旅費を使って、2泊3日で。
のちに私が義父の代わりに支払ったときには、自宅近くのATMから数百円の手数料で振り込むことができました。ほんの10分という時間で。
これも義父の性格に認知症の症状が加わったものだと思います。
会費を払わなければ = 現金を持って行かなければ = (どんなにお金や時間がかかっても)これはオレの仕事だから
金がない、カネがない、といつも言っているのにこんな無駄なお金の使い方をするのです