身だしなみは認知症のバロメーター

義父はだんだん身だしなみを気にしなくなってきました。
人それぞれだと思いますが、義父の場合はこんな様子でした。

 

身だしなみは認知症のバロメーター

認知症を疑い始めたころの義父は、まだ身だしなみをちゃんとしていました。
しょっちゅう白髪染めをし、毎日(少ない)髪をポマードでなで付け、まばらなヒゲをジョリジョリと剃って、出かけるときはスーツや背広にネクタイ姿でした。
カジュアルな服装を持っていないようで、夏も上着を着ないだけでYシャツにスラックス。


夜にお風呂を沸かして声を掛ければ、湯船に浸かっていました。
物忘れがひどくなってくると、だんだんお風呂に入る日が少なくなってきました。

 

クリーニング

義父はスーツやYシャツをクリーニングに出していました。
現役の頃からの習慣なのでしょう。自分で出して、自分で引き取って。

それが次第に肌着のシャツやパンツ、ハンカチまでクリーニングに出すようになりました。なぜなら、義母が義父のものを一切洗濯しないからでした。
夫婦の間で何かあったのではと思いますが、原因はなんだかわかりません。

そしてだんだんと、クリーニングに出したり引き取ったりを忘れてしまうようになりました。お金も続かなくなりました。

義父は、シャワーを浴びる時にお風呂場で肌着を洗うようになりました。
洗濯用石鹸を用意してあげても、わざわざしまってある私の洗顔用石鹸で洗濯するときもありました。たいていは、浴用石鹸を使うので、1個が1週間も持たないのです。

 

ズボン

夏の暑い日に、スラックスの裾を折り曲げて膝まで出して歩いていました。
家の中なら良いのですが、次第にそのまま外に出ていくようになりました。
昔の人ですから、スラックスの下にはステテコをはいています。

とてもみっともない。
何度も注意したり、外に出る時に裾を直したりしていましたが、とうとう義父は折り曲げたところを糸で縫ってしまいました。
しかもそれを見ていた義母は、楽しげに笑ってこう言いました。

「ほら見てみろ?お父さん自分で縫い物してるっけよ!うまいもんだな。」

「え?おかしいですよ?あれで外に出たら、みっともないですよ。」

と、私が言っても、義母にはわからないようでした。
義母の感覚も少し変わってきた頃でした。

 

髪の毛

白髪染めをしなくなってきました。
床屋に行かなくなりました。
髪はボサボサになってきました。

少ないとはいえ、伸びればボサボサになるものです。

 

帽子

誰にもらったのか、毛糸の帽子をかぶっていた事もありました。
似合わない。背広には、とても、似合わない。

かと思うと、麦わら帽子をかぶったりします。
暑い日差しの中、公園掃除をする時です。
麦わら帽子と竹ぼうきは似合います。でも背広にまくり上げたスラックスを着ていてはおかしいです。

 

ベルト

スラックスにはベルトをします。
義母が通販でLサイズのベルトを3本セットで買いましたが、義父には長さを合わせることができませんでした。
義父は痩せ型でMサイズなのですが、義母は大きい方が得だと考えているので、なんでもLサイズを買います。

義父がテーブルの上にベルトを乗せて、キリで穴を開けています。
危なっかしいので声をかけました。

「怪我をするといけないので代わりましょうか?」

「ああー、んだな。できるか?」

「大丈夫ですよ。まずはお義父さんのお腹周りを測らせてくださいね。」

バックルを外して不要な分をハサミで切って、元通りにバックルを止めれば完成です。
義父は、穴を開けないでいいのかと不思議そうに見ています。


そんなこんなで義父はベルトを何本も(多分20本以上)持っているのですが、スラックスから外してしまうと「ベルトの無いズボン」になってしまいます。

初めの頃は物の山の中からベルトを引っ張り出していたのですが、認知症が進むとそれができなくなりました。
義父はその辺にあったネクタイをベルト代わりに締めるようになりました。
その次は、ロープを結ぶようになりました。最後にはビニール紐を。

 

身の回りのお世話をするということ

認知症が進むにつれて、義父との関わり方も変わっていきます。
身だしなみも私が用意したり、ちょっと手直ししたりすれば良いのですが、なかなか手出しできません。
ネックになったのは、実は義母だったのです。

義母は、義父の衣類の洗濯をしません。
どんな格好をしていても気にしません。
それでも、私たちが義父の身の回りのことに手出し口出しするといい顔をしません。それどころか怒り出す始末です。

「お父さんのことはワタシが面倒みるっ!」

そう言って怒るのです。
夫婦の間に口出しするなということなのでしょうか。

 

それでも、認知症が進んできた義父は、真夏の炎天下を真冬の防寒着を着て徘徊します。
身だしなみどころではなく、命にかかわることになってきます。

義母が嫌がろうと機嫌が悪くなろうと、それは止めなくてはなりません。

私たちは水と着替えを持って、義父を追いかけることになるのです。