これは、義父が認知症外来を受診するよりだいぶ前の話です。
義父は若い頃から地域の役員をやっていました。
会合で取りまとめたことをガリバンで刷って、会員に配っていたそうです。
ワープロ
そして数十年、ガリバンはいつしかワープロに変わりました。
義父はコピー機も駆使して、せっせと配布物を印刷していました。
ワープロが壊れた
そのワープロが壊れたそうです。
どこがどう壊れたのかは知りませんが、書類が作れず義父はイライラ。
しかも、その頃すでにワープロは生産中止。
修理もできなかったようです。
ノートパソコンとプリンター
他の誰かに頼むことはせず、義父はどうにかして自分で書類作りを続けたかったみたいです。
知り合いか電気屋さんかに、今はパソコンで文書が作れますよって聞いたらしく、ノートパソコンを買ってきました。
FUJITSUのFM-V。BIBLOです。
銀行振込の控えには、とんでもなく高い金額が書いてありました。
パソコン2台買えそうなくらいの。
当時70代
でも、義父の意欲は素晴らしいと思いました。
しかもローマ字入力。
チラチラ様子を見ていると、なんとか文字を打っているようです。
ワープロとは勝手が違うでしょうに、どうやって使い方を勉強しているのでしょう。
プリンターも
印刷して人に配りたいのですから、プリンターも必要です。
義父が買ってきたのは当時にしても大きいプリンターで、ロール紙まで印刷できる高性能のものでした。
義父の印刷欲はいよいよ高まり、演壇に掲げる横断幕や懸垂幕まで作りたかったようです。
教わるなんて我慢ならねえ
なんだかんだと毎日パソコンに向かっている義父ですが、ワープロ時代の文書を利用したいようです。
一人でブツブツ言いながら格闘しています。
フロッピーディスク
義父が、ワープロで作ったフロッピーディスクをFM-Vに挿入しています。
去年作った文書を利用して、今年の日付に直して使いたかったんですね。行事の案内状なんかは、文面が一緒ですから。
でも、それは、無理。
ワープロ専用機のフォーマットはパソコンとは違いますから、FM-Vで開くことはできません。前に印刷した紙の文書を見て、打ち直さなければならないんです。
途方に暮れる義父
ワープロの文書もできると言われて買ったパソコンでしたが、それは義父が思っていたのとは違っていました。
このころの義父は、毎日イライラしつつ夜中までパソコンに向かっていました。
一太郎
義父が買ってきたパソコンのワープロソフトは一太郎でした。
私たちはwordを使っています。
操作方法がかなり違うので、これだと教えてやれないな、と夫がつぶやきました。
すると、
お前たちには頼らねえっ!!
サポート
怒りに任せて義父が言い放ちました。
これはなっ教えてくれる先生がいるんだよっ!
なるほど。
この高価なパソコンは、サポート付きの価格だったのです。
ところがサポートはすぐに終了しました。
セットアップとインターネットに繋ぐサポートだったようです。
義父にはインターネット回線がありませんでした。
義父の先生
サポート終了後は、義父は知人に教わっていました。
そして、この人が高額なセットを紹介販売したのでした。しかもマージンありで。
のちに義父の操作を見ていて、この先生の操作方法がかなり独特だとわかりました。だから義父は混乱していたのです。
個人指導
義父は毎週のように先生の元に通っていました。
出かける日は大荷物です。
ノートパソコンはソフトケースに入れて、ケーブル類と一緒にバッグで運びます。
そしてプリンターは、購入時の箱に入れて持っていくのです。
表が書けない
ワープロを使っていたので、すぐに文章は打てるようになった義父。
ところが。
一太郎で表を書きたい義父。
名簿のような簡単な表を書きたいのですが、うまくいかないようです。
罫線を使って無理やり文字の周りに枠線を書いていますが、狙ったところに線が引けずに義父はイラついています。
ご飯も食べず、夜中に起き出してはパソコンをいじっています。
一太郎を調べる
仕方がないので、私たちは一太郎の使い方を調べながら教えることにしました。
さりげなく、恩着せがましくなく、気を使いながら。
放っておいてもいいのですが、義父がイライラしていると義母までイライラし始めて、家の中がギスギスするのが我慢できなくなったからです。
ひとりごと
あーーー困ったなあ。今やらないと間に合わねえなぁ。
義父は、私がそばを通る時に大きな声でひとりごとを言うようになりました。
どうしましたか
義父は、私が「どうしましたか、手伝いましょうか」というのを待っているのです。
もうミエミエなのですが、絶対に教えてくれとは言いません。
なので、私が忙しい時は、聞こえなかったことにしました。
数年間はどうにか
どうにかこうにか義父の望む書類を作る手伝いをしました。
この手伝いは数年続きました。
仕事の合間だったり夜だったりしましたが、この頃の義父は書類ができあがると、ちゃんと一言が言えたのです。
『助かったよ、ありがとねー。』